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世界ゴルフ殿堂入りの回想録

2010 年 2 月 28 日 今井 明徳

 

今日の記事でジーンとこみ上げてきた記事がありました。プロゴルファー青木功氏が2004年に自身が世界ゴルフ殿堂入りしたときの自身のことが書かれていました。日経新聞の最終ページにある「私の履歴書」で今月は青木功氏の連載で、毎朝楽しみにこのページを見ています。今日はその中で最も感動した内容で、非凡が才能がある上にゴルフが上手くなるために心技体ではなく体技心を持論としてどんなトレーニングでも努力を惜しまない姿勢はプロの中でも一目を置かれていると思います。特に殿堂入り式典でのスピーチで自身が本音で語っている部分は、会場の盛り上がりも見えるような臨場感が伝わりましたね。どんなに良いことを話すよりも、自分の本音を語ることが相手の心を引き付けますね、私も引き付けられました。ところで、私もゴルフをやりますが今まで知らなかった醍醐味や楽しさやマインドで変えられることを教えてもらいました。私も次回のゴルフから変わると良いのですが...私の備忘録の一つとしておきたい記事です。

 

献身的な妻が原動力に 母を奪って娘に「ごめんね」

(前省略)翌年の正月に米国から電話があった。娘のジョエンが電話に出て「お父さん、ゴルフの殿堂というのがあるの?お父さんが殿堂入りしたって」「うそだろう」。驚いたのなんの。女房もこの時ばかりは「結婚して、一番嬉しかったこと」と言ってくれる。

2005年に選ばれた岡本綾子プロと同じ「インターナショナル部門」出の授賞だった。

何で選ばれたのかと考えた。そうか、ハワイアンオープン勝っているからかな、とも思ったが、いや、そうじゃない。ぶちのめされても、ぶちのめされてもアメリカに行った。それが理由で選ばれたのかなという思いがあった。

11月、米フロリダ州のセント・オーガスティンにあるワールド・ゴルフ・ホール・オブ・フェイム(世界ゴルフ殿堂)で式典が行われた。

グレグ・ノーマンに紹介され英語で感謝の気持ちを述べる。緊張で息が詰まりそうになり、ポンと一つ胸を叩いた。日本語で「貧しい農家に生まれアルバイトキャディーをしていた私にとって広い世界を自分の目で見たいというのは大きな夢でした」などと語った。ジャック・ニクラウスとの1980年の全米オープンで「私は人生の中で最高のプレーをした。しかし一度も隙を見せてくれず驚きと自分の常識を超える選手がいる世界の広さを痛感した」とも述べた。

世界中のファンやトーナメントのボランティアの皆さん、自分を生んでくれた両親やこれまで支えてくれた多くのスポンサー企業に深甚の感謝の言葉を続け、そして「ワイフのチエ」を最大の理解者であり献身的な努力を続けてきてくれたと紹介した。

「ゴルフさえしていればよかった私はスーツを着てパーティーに顔を出したりするのは大の苦手で、嫌がる私を引っ張り出す彼女とはよく衝突しました。しかし、振り返ってみると、そんなゴルフコース以外のツアー生活がトーナメントで自分の力を出すための大きな原動力となりました」。正直な胸の内だった。

「サム・スニードはこの世界で勝てないものは3つある、雷とベン・ホーガンと下りのパットだと言ったそうです。私にとって下りのパットはさほど怖くはありませんが、ジャックとチエにはいまだに勝てません」。ここでどっと沸き、笑いと拍手に包まれた。

最後に、と付け加えたのは次の言葉だった。

「私のわがままでマミーまで独占してさみしい思いをさせてしまった娘のジョエンに」といいかけて涙が落ちそうになった。何とかこらえて「ありがとう。アイ・ラブ・ジョエン」と語りかけた。スピーチは終わった。

米国に行くために女房を帯同するので、子どもは親のそばで育っていない。殿堂入りの晴れの舞台から「ごめんね」と謝った。家族で抱き合って泣いた。良くあそこで自分の本当の気持ちをさらけ出せたと思う。世界各国に報道されたのは想定外だった。(日経 2/27)

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